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浪速のヒムロック 大阪 スロット パチンコ You tuber

みなさんこんにちはこんばんは!

大阪を拠点に スロット パチンコ You tuberをやっていますぅぅぅ…(息継ぎ)

 

浪速のヒムロックでっす!

 

いや、浪速のベートーベンちゃいますよ?w(誰が◯田タローやねん!)

 

この記事の内容

生い立ち〜現在まで ざっくりまとめ

 

▶︎ 大阪泉州地域に◯◯家の3男として誕生し、幼少期の頃は兄貴達の悪魔的いじめを受けて育つも 今では逆に「あの時はよくも〇〇してくれたなぁ〜(ニヤリ)」と兄貴達をいじめる

▶︎ 小学校3年生まで嫌々やっていた野球をやめサッカーに転向する(中一でトレセンに合格するくらいまぁまぁ上手だった)

▶︎ 兄貴達についていきパチンコを覚えたり若干グレることもあったが何とか工業高校に入学、無事に卒業する

▶︎ 高校ではヒップホップDJに目覚め、ドレッドヘアの「Dj HAYATO」として週末はクラブでレコード回す

▶︎ 音楽関係に進みたかったが、今は亡き母の「1度は就職せな男としてあかんで」の一言で就職を決意

▶︎ 工業高校なのに工場で働くのは性に合わねぇと傍若無人に広告代理店に就職する

▶︎ わずか1年で営業成績トップを獲得し、20歳の時に心斎橋店の主任店舗責任者につくも、この頃よりパチスロを覚え営業途中に大花火ばかり打つようになる

▶︎ 21歳、社長と意見のすれ違いが原因で退社 → 広告代理業で独立するも社会の厳しさに歯が立たずわずか1年ほどでどん底に陥る

▶︎ 22歳、ここから約2年ほど本格的に スロット パチンコ を打つようになり、スロプロ気取りで目押しを鍛える(平均収支プラス30万ほど)

▶︎ 24歳、スロットパチンコばかりの毎日に辟易として朝晩と掛け持ちで働きわずかな資金でプレイヤーズバー(スナックみたいなもの)を地元で開業

▶︎ 26歳、結婚して娘を授かる

▶︎ 27歳、プレイヤーズバーを閉店し人材派遣会社を開業、軌道に乗り始めた頃に父が他界し 始めてのお葬式を経験、その見送りに感銘を受け葬儀業会を目指すようになる

▶︎ 29歳、派遣会社を知り合いに引き取ってもらい、日本最大手の冠婚葬祭業者に就職し またしても1年ほどで新人賞を獲得

▶︎ 32歳、男としての器量が小さいことが原因で離婚 → 鬱(今振り返るとそう思う)になり2度目のどん底に陥る → 退社 → 亡き父の休眠会社を復活させ葬儀会社を開業

▶︎ 葬儀業や講師業などを経て「自由な時間こそが最も価値のあるもの」と考えるようになり、現在You tuberとして活動中

という感じでまとめてみました!

もぅ少し掘り下げていきます。

スロット パチンコ を打つようになったワケ

 

これはもぅ男兄弟がいらっしゃるみなさんはお分かりだと思いますが、ズバリ兄貴達の影響でしたね笑

自分には5つ年上の次兄と7つ年上の長兄がいますが、この二人がよく富◯駅にある富◯会館や北◯太駅前のナ○オってパーラーに行ってたんですよ。

楽しそうにしている二人を見てパチンコに興味津々となりまして💦

そして中学校に入った頃ってお年玉の金額が跳ね上がるじゃないですか?笑

それを元手に…そうなんです。やってしまいましたパチンコフィーバーパワフル!

兄貴達から釘よみの指南、さらにビギナーズラックで大勝ちを体験してしまい すっかりパワフルの虜になりまして💦(時効だから許して笑)

夏休みの頃とかしょっちゅういくようになりましたねぇ。

 

えっ? それで勝ててたんか?って?

 

そりゃあもちろん…

 

 

ボコられましたよ!えぇ!

完膚なきまでにフルボッコにね!😭

 

そして10万くらいあった種銭が底を尽きかけた時に…

やりましたよ、あの伝説のエキサイトレディー小当たり攻略法を!笑

(ゴトではありません)

店員さんの目も気にせず6箱も出してやりましたよ〜あれは自分史の中でも伝説の1日でしたw

※ご興味のある方はご自身でお調べください

 

それからというものの、家の掃除をする代わりに母からお小遣いを徴収し、あるいは解体屋のバイトなどで臨時収入があった時はA◯Cのニューパルとか高◯駅前の和○会館でフィーバークイーンとか たぬ吉とか打ってましたね〜わすかな収入をすぐにパーラーに貢ぎにいくというまさに…

中毒!依存症ですねww

初代フィーバークイーン

初代ハネモノたぬ吉

 

保留玉連チャン、そしてV入賞で3連チャン(でしたよね?💦)にドキドキワクワク…!

そんなわけで、中学生の頃に浪速のヒムロックの原石が生まれました 笑

 

本格的に スロット パチンコ を打つようになった理由

 

21歳の頃、ほぼ毎日めっちゃ呑んでました。もぅ酒、酒、酒…ですよ。

その理由はお仕事上での接待でした。

たまたまなのか、上得意先のお客さん達はかなりの呑助ばかりで自分もそれに付き合い午前様はしょっちゅうでした。

まだ景気も良い業界だっただけに週4日は行ってましたねぇ。

なのでほぼ2日酔いなんですよ。でも若いって素晴らしい!なんでって昼くらいにはもぅ復活してましたもんね〜笑

今では2日酔いだと1日潰してしまうくらいきついっすね〜💦

で、営業ですから月の数字が目標達成さえしてたら基本的には何でもありです!

外回り中の空き時間や、時には朝礼終わってから新台入替のパーラーで夕方まで大花火打ってたりw

果ては得意先のお客さんと獣王打ってたりww

あ、数字だけはきちんとキープしてたので立場は守り通しましたよ!

そして仕事が終わればお客さんと飲みに行ったり彼女の店で飲んだり…とにかく体力の続く限り仕事と遊びを全力で楽しんでいました。

そんな毎日に無理がたたり、ついに過労で40度の熱が2日間続き 入院となりました…

当時は東天満ってところのマンションに住んでいたので京橋の聖和病院に1週間の入院。

ベッドの上で色々と考える時間があり、「このままのやり方では自分にとっても会社にとっても伸びていかないんじゃないか…」と結論に至ります。

退院してからは社長と考え方のすれ違いで険悪になることもしばしば…大好きな人でしたが社長の元から離れることを決意しました。

そして今まで築き上げてきたブレーンを活かし広告代理業を始めますが、これがねぇ〜そんなうまくいきませんわねぇ〜笑

 

少しばかり貯めた貯金も底をつく勢いで減っていき、気付いたら無一文レベルまで落ち込みます。

 

この時ですよ初めて禁煙したの。

だってタバコ買うお金なかったですもんね笑

そんなわけで地元に帰りました。

さぁどうしましょ?笑

どこかに勤めにいくべきなのか、はたまた自分で何か仕事をするのか…色々と考えていた毎日に息が詰まります。そんな中、次兄がよく行くパーラーは どのハナビに座っても⑤だという激アツ情報が舞い込んできました。

「久しぶりやなぁ…いっぺん行ってみるか!」

彼女と向かった久しぶりのパチンコ屋。

 

そこには止めていたタバコのいい匂い

そして勝った負けたの近所のおばちゃんたち

オカルト打法や目押しの達人など、

実にたくさんの人間模様がとても魅力的に見えました。

 

「今日はアラジンが熱いみたいやで!」

次兄のその一言でアラジンA2に着席し ペシペシと打ち始めました。

アラジンA2はまだ数回しか打った事がありません。

するとすぐに単チェ出現 → アラジンチャンスに突入!

何とまぁ…出来過ぎのような展開ですが、これが一撃7,000枚というまさかの僥倖…!

日銭を掴んだ自分の思考回路はすでに明日の狙い台を決めていました笑

この日を皮切りに、やりたいこともなかった自分は およそ2年程度ですが本格的に スロット パチンコ を打つようになりました。

 

スロット パチンコ で生計を立てる

 

アラジンA2が窮地を救いましたが、荒波仕様のヤツを手懐ける事は素人の自分にはできません。

そこで少し馴染みのある大花火、そして兄達に教わったハナビの⑤判別を駆使しながら勝った負けたの日々が始まりました。

さて、腰を据えて打つ肝心のパーラー選びですが、次兄のアドバイスから大阪・堺にあったクラウン、マンモスという2店舗に決めました。

理由として

①クラウンは毎日ほぼどの機種にも高設定が投入されており、スロットで立ち回れなくともパチンコの良釘台もある

②マンモスは朝イチ7揃いの台に高設定が入っている、来店ポイントで⑥を打てる

③どちらとも目の前なので移動しやすい

他にも細かい部分はありましたが、概ねこういった理由でした。

基本的に自分はクラウンに通い、朝イチはAT機 → ツモれなかったらAタイプ or 海 という立ち回りをしていました。

そしてお昼休憩の時間を利用して向かいにあったマンモスへ行き、来店ポイントを貯め、時にはそのポイントを使って設定⑥を打つ…

そんな感じの立ち回りで最高月収は80万ほどでした。

 

当時はイベント規制などもなかったので、夕方から台に金・銀・銅の札が刺さったり、大花火の島はトイレ前にあったので設定を打つマネージャーがトイレに行くときにアイコンタクトで「これ⑤?」と聞くとうなずいてくれたり笑

半年間くらいは本当に甘い状況でした。

当時居たジグマは10人くらいだったかな〜その誰かしらと閉店後に居酒屋に行ったり飲み屋に行ったり、本当に楽しかったのを覚えています。

ある日マンモスで来店ポイントが貯まったので「アントニオ猪木という名のパチスロ機」というAT機の設定⑥を打つことになりました。しかも次兄と並んで打つ⑥です笑

お互いにヒキにはそれなりに自信がありましたので、すでに勝者の気分で意気揚々と打ち始めます。

次兄は順調にBIGを引き当て持ち玉で徐々に増えていくのに比べ自分の台はBIGがひけず、気づけば15:00の時点で投資は78,000円!さすがの兄貴も言葉を失っていますw

もぅお先真っ暗状態…しかもあと2,000円で手持ちの現金は消えて無くなり、ATMに走らないといけないという状態に換金率は7.6枚なので、爆発しないとチャラにも持っていけません。

ジグマのみんなも最初のうちは「大丈夫か?」「頑張れよ!」などと声をかけてジュースを持ってきてくれていましたが、段々と鬼の形相になっていく自分の様を見て誰も近付かなくなるほどです笑

そぅ…誰もが諦めかけた瞬間の出来事です

「あーー!くそっ!」

渾身のレバオンでした

プシュン!

「は?」

「テーーテーテーー♪ テーーテーーテーーテーーー♪この道を行けばどうなるものか…」

そうです!そうなんですよ!

チャンピオンロードです!

その確率…覚えてませんけど確か…約1/6万くらいじゃなかったかな?💦

周囲もザワつきます!

ざわざわ…ざわざわ…

「おいハヤトが道ひいたってよ!」

「マジか!?」

ジグマ達が集まり自分の台の周りには10人くらいの人だかりがw

「行けばわかるさーっ!」

成立フラグはREGでした。

ご存知の方はすでにお分かりだと思いますが、この4号機のアントンはREGで押し順を当てられるかにより出玉に大きな影響を与えます。

その押し順がラスト3G間のうち(たしか…)最低2G保証されている、つまり自力で1Gは当てなくちゃいけない仕様だったんです。

そのラスト3Gの勝負所で一呼吸置くと全身全霊をかけてスーパーレバオン!

「てめえの力で当ててみろ!」(的な言葉だったと思います💦)

そして周囲からは

「前のGが右 → 左 → 中 やったから最初は右やめとけ!」

「いや、同じこともあるで!」

「ちょ、黙れって!」

など、みんなの声がパーラーに響きます笑

頭の中であれこれ考えます。

確かに確率で考えたら右からはないよなぁ。いや、完全確率やし関係ないか…左からの選択率が確か1番多かったような…いや、中も捨てがたいしな…

あーーー!もぅ!直感やーー!

あの時のことはハッキリと覚えていますが、思考をゼロにし直感だけで手が自然に動くというか、何の躊躇いもなくストップボタンを押しました。

自分が選んだ押し順は、右 → 左 → 中 でした。そうです、前のGと全く同じ押し順です。

そしてそれが 奇跡の正解 となり、闘魂チャンスは20連以上(だったかな?)のテーブルで抽選確定なので大連チャンのトリガーとなりました。

のちに当時のメンツと集まったときにも出るこの話。

みんな口を揃えて「あそこで前のGと同じとこ押して正解させるのはハヤトしかおらんよなぁ」と言ってくれるほどの奇跡でしたね。

「闘魂チャンス!」

「お願いしまーす!!」

後にも先にも味わえないほどアントンの張り手を食らいまくり気づけば一撃8,000枚オーバー!

なんとかチャラまで持っていけました。

いや〜爽快でしたよ〜投資78,000円からのプレミア道演出 → 投資額まくりという笑

出玉の伝説ではなく、押し順正解の逸話です笑

そんなわけで、毎日を楽しくスリリングに過ごす生活が約2年ほど経過しますが、時代は初代北斗に突入し人気機種となったため それ以外の機種の設定状況は変化し、今まで以上に収支が荒れるようになりました。お店を変えたり自分なりに工夫したつもりですが、経験値が圧倒的に少ない割にイケイケの性格でしたので、「いつか一撃で取り戻したる…!」と養分思考の結果…気づけばクラウンで稼いだお金は風残の灯火状態となりました。

今考えると立ち回りと店選びでなんとでもなったでしょうが、当時の自分では平均プラス30万という数字もなかなか達成することもできなくなり、スロット パチンコ 生活から抜け出すことを考え始めました。

大勝ちしたり大負けしたり、みんなで呑んであれやこれや言い合ったりケンカしたり楽しかった思い出しかありません。

それはもぅ…間違いなく…青春の1ページを刻んだ2年間でした。

そして現在

 

振り返ればあっという間の15年でした。

スロパチ生活を引退した後、勤めに行く気はサラサラありませんでしたので自分でプレイヤーズバーを開業するために朝はダイエー商品の出荷工場で働き、夜は駐車場の警備などおよそ1年弱働き自己資金を作りました。

それを元手に地元でバーを開業し、家も買い結婚も離婚もし、父が死に、葬儀屋や講師のお仕事なども経て現在に至ります。

思えば20歳そこそこで起業したり倒産したりうまくいったり挫折したり…人生の前半戦は我ながら忙しいなぁと思います笑

一昨年に母を亡くし、自分にはもぅ両親がいません。

両親が見せてくれた死様には言葉では表せられない価値観の変化があり、箸にも棒にもかからないような自分ですが「自由な時間こそ価値のあるものだ」と考えるようになりました。

そんな最中にも、なんやかんや言っても スロット パチンコ はたま〜に打っていまして笑

You tubeを見ると知識や打ち方ばかりの動画で(それがすごく重要というのはわかっている)世間一般的にはパパ達の休日の唯一の楽しみなんやから、細かいことよりもっとオカルトでもいいんちゃうん?とブツブツ言っていまして…w

 

そうやん!俺がおもろい動画作ったらえぇやん!

( ↑ アホです)

 

これが スロット パチンコ You tuber 浪速のヒムロックの始まりです笑

あ、ちなみに氷室京介さん大好きです笑(そのまんまやん!)

 

最後に

 

いかがでしたか?

特段おもしろくもない記事でほんとすいませんっ!笑💦

浪速のヒムロックデビューから約2年半ほどですが、1時期チャンネル登録者様は8,000名ほどになりましたが You tubeのAIの誤認識により3度の警告を受けアカウントが2020年5月13日まで停止となるトラブルにも見舞われましたが、なんとか新チャンネルで スロット パチンコ 動画を立ち上げ現在に至ります。

新チャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCbMxK3EYhfVFMA-RmCXCGAA?sub_confirmation=1

旧メインチャンネル(2020年5月13日復活予定)

https://www.youtube.com/channel/UC6I9W9IUXy8Uh39o8tYQ4LQ?sub_confirmation=1

日常系チャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCueLgv_je2x92Cn-lgpssFw?sub_confirmation=1

他の スロット パチンコ 動画にはない独自の路線ですが一つお見知り置きのほど よろしくお願いします!

ヒャッハーーー!

よろしく頼むぜぇぇーーー!!